
昨夜の丑三つ時、超大物の訃報が飛び込んできた。米音楽業界の大立者クライヴ・デイヴィスが、6月22日マンハッタンの自宅で逝去したとのこと。正式な死因は未発表ながら、彼は最近、呼吸器系の問題で入院していたそう。しかしそれ自体は亡くなるほどの重篤な症状ではなかったらしく、実質的には94歳という高齢からくる老衰じゃないか、と言われている。
クライヴ・デイヴィスは1932年、ブルックリン生まれ。ハーバード大学を出て弁護士として活動。その中で、コロンビア・アーティスト・マネージメントを担当した時期があった。そこを見込まれたか、60年に顧問弁護士としてコロムビア・レコードに入社。67年にはコロンビア / CBSレコードの社長に就いた。ジャニス・ジョプリン、ブラッド・スウェット&ティアーズ、ローラ・ニーロ、ジョニー・ウインター、サンタナ、シカゴ、アース・ウインド&ファイアー、デイヴ・メイスン、ブルース・スプリングスティーン、エアロスミス、ロギンズ&メッシーナ、ビリー・ジョエル、ピンク・フロイド、ハービー・ハンコック、マハヴィシュヌ・オーケストラ、ウェザー・リポート…等など、彼がデビューさせたり、育成したり、移籍させたアーティストは数多い。
73年5月に業務上横領疑惑でコロムビアを当然解雇。その後、苦境にあったベル・レコードを買い取り、それをベースにアリスタを創設。バリー・マニロウをスターにし、ディオンヌ・ワーウィック、アレサ・フランクリン、パティ・スミス、ルー・リード、エア・サプライらと契約。ザ・キンクスやグレイトフル・デッドの移籍を成功させている。とりわけ鮮烈だったのが、83年のホイットニー・ヒューストンのデビューだ。
00年にアリスタを退社し、J.レコードを立ち上げ。02年にはJ.レコードの親会社となったRCAミュージック・グループの社長兼CEOに就任している。この時期で一番記憶に残っているのは。ロッド・スチュワート『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』のシリーズ化だろう。04年、BMGとソニー・ミュージックが合併し、ソニーBMGが誕生。デイヴィスにとっては古巣への復帰となリ、組織改編で会社がソニー ミュージックに一本化されたあとも、チーフ・クリエイティヴ・オフィサーの役職に留まっていた。
アリスタ時代など、かなりワンマンなレーベル・トップとして君臨していたクライヴ・デイヴィス。自作自演アーティストにも外部ライターの楽曲をあてがうため、かなり多くの軋轢を生んでいる。でも実際にそこからビッグ・ヒットが数多く生まれているから、ヒット曲を見抜く耳やセンスがあったのは確かだ。彼のようなレコード会社トップは、もう2度と出てこないだろう。
Rest in Peace...
73年5月に業務上横領疑惑でコロムビアを当然解雇。その後、苦境にあったベル・レコードを買い取り、それをベースにアリスタを創設。バリー・マニロウをスターにし、ディオンヌ・ワーウィック、アレサ・フランクリン、パティ・スミス、ルー・リード、エア・サプライらと契約。ザ・キンクスやグレイトフル・デッドの移籍を成功させている。とりわけ鮮烈だったのが、83年のホイットニー・ヒューストンのデビューだ。
00年にアリスタを退社し、J.レコードを立ち上げ。02年にはJ.レコードの親会社となったRCAミュージック・グループの社長兼CEOに就任している。この時期で一番記憶に残っているのは。ロッド・スチュワート『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』のシリーズ化だろう。04年、BMGとソニー・ミュージックが合併し、ソニーBMGが誕生。デイヴィスにとっては古巣への復帰となリ、組織改編で会社がソニー ミュージックに一本化されたあとも、チーフ・クリエイティヴ・オフィサーの役職に留まっていた。
アリスタ時代など、かなりワンマンなレーベル・トップとして君臨していたクライヴ・デイヴィス。自作自演アーティストにも外部ライターの楽曲をあてがうため、かなり多くの軋轢を生んでいる。でも実際にそこからビッグ・ヒットが数多く生まれているから、ヒット曲を見抜く耳やセンスがあったのは確かだ。彼のようなレコード会社トップは、もう2度と出てこないだろう。
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