





またもや訃報です。ブラッド・スウェット&ティアーズの看板シンガーだったデヴィッド・クレイトン・トーマスが、6月24日にトロントの病院で逝去。死因は明らかにされていないが、安らかな旅立ちだったという。享年84。
デヴィッド・クレイトン・トーマスことデヴィッド・ヘンリー・トムセットは、1941年、イングランドのサリー州生まれ。幼少期にカナダ・トロント郊外に移住したが、かなりヤサグレてたみたいで、逮捕歴があったり、少年院に入ったり、ホームレスになった時期もある札付き。そうした経歴が、グループ加入後の人気爆発で、国務省に利用されて政府のプロパガンダに取り込まれる要因になった。
カナダで歌い始めて徐々に注目されるようになったトーマスの転機は、ブラッド・スウェット&ティアーズのオーディションに呼ばれたこと。創設者のアル・クーパーが追い出されるようにバンドを去ったあと、スティーヴン・スティルスやローラ・ニーロ、アレックス・チルトンらが後任候補に。実際ローラとはリハーサルまで行われたらしいが、決定には至らず。しかしその数ヶ月後のオーディションで、トーマスは、わずか1〜2コーラス歌っただけでメンバー達をぶっ飛ばし、即座に加入が決まった。この時オーディションに立ち会ったのが、先日亡くなったクライヴ・デイヴィス。
「彼には皆、度肝を抜かれてしまった。本物だった。歌詞も自由に操れるし、情感もあり、グループのどことなく知的でクールな魅力とよく合っていた。それでいて実に野性的だった。彼がたいへん強烈な存在になることを私は直感した」(クライヴ・デイヴィス著『レコードビジネスの内側』より)
トーマス加入後の初アルバム(通算2作目)『血と汗と涙 (BLOOD, SWEAT & TEARS)』からは、<You've Made Me So Very Happy>、トーマスが書き下ろした<Spinning Wheel>、ローラ・ニーロが提供した<And When I Die>が連続して全米2位を記録。アルバムは7週連続No.1という、当時としては破格のビッグ・セールスをマークした。更にグラミー賞では7部門で8つのノミネート。ビートルズ『アビー・ロード』を蹴落として最優秀アルバム賞を獲得ている。
しかしトーマスは『B.S.& T.4』を最後に脱退。ソロ・アルバムを作るも、セールス面は失敗。合わせてグループも低迷し、75年作『NEW CITY』でヨリを戻した。が、バンド自体は長持ちせず、トーマスが看板を引き継いで行くことに。しかし04年にトロントへ戻り、以後マイペースの活動を続けていた。
Rest in Peace...
カナダで歌い始めて徐々に注目されるようになったトーマスの転機は、ブラッド・スウェット&ティアーズのオーディションに呼ばれたこと。創設者のアル・クーパーが追い出されるようにバンドを去ったあと、スティーヴン・スティルスやローラ・ニーロ、アレックス・チルトンらが後任候補に。実際ローラとはリハーサルまで行われたらしいが、決定には至らず。しかしその数ヶ月後のオーディションで、トーマスは、わずか1〜2コーラス歌っただけでメンバー達をぶっ飛ばし、即座に加入が決まった。この時オーディションに立ち会ったのが、先日亡くなったクライヴ・デイヴィス。
「彼には皆、度肝を抜かれてしまった。本物だった。歌詞も自由に操れるし、情感もあり、グループのどことなく知的でクールな魅力とよく合っていた。それでいて実に野性的だった。彼がたいへん強烈な存在になることを私は直感した」(クライヴ・デイヴィス著『レコードビジネスの内側』より)
トーマス加入後の初アルバム(通算2作目)『血と汗と涙 (BLOOD, SWEAT & TEARS)』からは、<You've Made Me So Very Happy>、トーマスが書き下ろした<Spinning Wheel>、ローラ・ニーロが提供した<And When I Die>が連続して全米2位を記録。アルバムは7週連続No.1という、当時としては破格のビッグ・セールスをマークした。更にグラミー賞では7部門で8つのノミネート。ビートルズ『アビー・ロード』を蹴落として最優秀アルバム賞を獲得ている。
しかしトーマスは『B.S.& T.4』を最後に脱退。ソロ・アルバムを作るも、セールス面は失敗。合わせてグループも低迷し、75年作『NEW CITY』でヨリを戻した。が、バンド自体は長持ちせず、トーマスが看板を引き継いで行くことに。しかし04年にトロントへ戻り、以後マイペースの活動を続けていた。
Rest in Peace...








































